(動画 文字起こし)TBSチェルノブイリ原発事故、除染の盲点。2ヶ月間除染作業を行い3年後に死亡をはじめ、8人中7人がガンで死亡。




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ドイツで、車の除染作業に携わった作業員が次々と亡くなっています。
日本の自動車整備関係者の3年後かもしれません。

ドイツがトラックの受入を放射能検査で拒否している場面も印象的です。
日本は、スカスカ所か検査すらしていませんね(警戒区域のゆるゆる検査は除く)



○2ヶ月の除染作業で8人中7人が、ガンで死亡。3年後から死に始めた。

大人の甲状腺ガンが指摘されている。

○車のエアフィルターがやばい(前から指摘されている)。




 福島第一原発の事故を受け放射性物質の除染作業が本格化していますが、実はある「モノ」の存在が見落とされている可能性があります。チェルノブイリ原発事故の際、1400キロも離れた場所で除染作業をしていた作業員が相次いで7人も死亡しました。一体、何が起きていたのでしょうか。


 友はもう何も語りません。


 「そこに墓があります」(オットー・ツェルナーさん)


 オットー・ツェルナーさん(79)。今から26年前、ある作業に従事したことで次々と仲間を失いました。この場所には同僚だったノイキルヒさんが眠ります。


 「彼はがんで亡くなりました。原因は放射能です」(オットー・ツェルナーさん)


 1986年4月、旧ソ連のチェルノブイリで起きた原発事故。破壊された原子炉から大量に放出された放射性物質は周辺の国々を汚染しました。この時、放射性物質を運んだのは風や雲だけではありませんでした。


 「東ドイツからの車両は全て徹底的にチェックされます」(ドイツのTVニュース 1986年5月)


 事故の直後、原発から1400キロほど離れた東西ドイツ国境の様子。多くのトラックが足止めされています。当時、ウクライナや東欧から農産物など安い物資が西ドイツに運ばれていました。しかし、西ドイツは放射能汚染を恐れ東側からの入国を拒否、車両が列を成しました。そこで、東ドイツ政府はツェルナーさんら運送公社の職員8人に「トラックの除染」を命じたのです。


 「ガイガーカウンターを渡されて私たちが放射線量を測定するよう指示された。測定器はけたたましい音を鳴り響かせていたが、耐えられずに除染作業中は音を消していた」(トラックの除染に当たったオットー・ツェルナーさん)


 すでに放射性物質に汚染されていたトラック。しかし、作業員たちはマスクなどで防護もせず、モップを使い除染の作業をこなしました。その数は100~200台に上るといいます。


 任務は洗車だけではありませんでした。エンジンに送る空気をろ過する「エアフィルター」の交換です。このフィルターにはほこりや細かいちりなどが付着します。


 「フィルターも放射能に汚染されていた。外から空気を吸い込むので放射能がたまる。外側よりフィルターの方が汚染されていた」(オットー・ツェルナーさん)


 除染作業は2か月で終わりましたが、3年後に悲劇が始まります。まず、フィルターを交換していた作業員が肺がんで死亡しました。まだ30代でした。10年のうちに除染の作業員8人中6人が亡くなりました。全てがんでした


 作業員の死亡と放射性物質の因果関係はあるのか・・・そもそもトラックはどれほど汚染されていたのか・・・ある場所に原発事故後の記録が残っていました。当時、トラックは国境にほど近い東ドイツのサービスエリアにも集められていました。そして、交換されたエアフィルターは倉庫に保管されていたといいます。山積みになっていたというエアフィルター。扉の前で、東ドイツ政府の命令を受けた放射線の専門家たちが線量を測定していました。


 「倉庫の入り口で測定したところ、毎時20ミリシーベルトの放射線量を記録した
Q.1時間あたり?
 「そう、1時間あたり。とても高い数値です」(マクデブルク大学病院 トリーネ教授)


 当時のメモが残っています。2レントゲン、つまり20ミリシーベルト。これは国際的な基準で原発作業員が年間で許容される被ばく量に相当、それを1時間で浴びてしまう計算です。


 「この線量を一度に浴びると遺伝子に異常を起こすおそれがある。すぐではないが、3~4年後に甲状腺がんを発症するおそれも出てくる」(マクデブルク大学病院 トリーネ教授)


 その後、ツェルナーさんと一緒に除染に当たっていたノイキルヒさんも直腸がんと前立腺がんを相次いで発症して亡くなりました。除染に当たった作業員8人のうち7人ががんで死亡したことになります。


 「私は日本でも被害者が出るのではと不安を感じている。大量の放射線を浴びれば病気になり、がんで苦しんで死ぬことにもなる。そう考えただけでも気が重くなる」(除染作業に当たったオットー・ツェルナーさん)


 原発事故の現場から遠く離れた場所で起きた「被ばく」をどうとらえるのか・・・警鐘が鳴らされています。


 ツェルナーさんの上司のノイキルヒさん。彼が2つのがんを同時期に発症したのは事故から9年後の1995年でした。ノイキルヒさんは「除染中の放射線が原因」として補償を求め、裁判所に訴えます。そして98年、裁判所は「放射線ががんのリスクを高めた」などとして一度は労災を認めました。ノイキルヒさんはドイツで初めてチェルノブイリ事故の被害者となったのです。ところが、ノイキルヒさんの死後、2001年に一転して2審が1審判決を棄却。その理由は学問的に「放射線の量ががんを発症するには十分と言えない」というもので、放射線被ばくをめぐる裁判の難しさを浮き彫りにしています。(28日22:15)

文字お越しをしていたら、こちらがありました。
TV局には、こういった情報資源の積極開示を強く望みます(リンク落ちが多いので)。



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