福島県南相馬市に、北海道に疎開していた野馬追の馬52頭のうち8頭が帰還!生類憐みの令 人間の命<お馬様の命




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管理人は、南相馬市には何かと驚きます。

建前は、食糧不足のようですが、本当なの?という気持ちです。
3月・4月ではなく8月ですからね。

やはり、その辺の庶民よりも、お馬様の健康が第一ということでしょうか?
日高町が無償で引き受けていたようですね。

管理人が思ったのは、生類憐みの令、21世紀版ですね。




生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい、生類憐令)は江戸時代の元禄期に出された多数のお触れ(法令)のことである。


貞享4年(1687年)4月9日:病気の馬遺棄者が遠流に処される(武蔵国村民10人)
元禄2年(1689年)2月27日:病馬を捨てたとして陪臣14名・農民25名が神津島へ流罪




野馬追の馬が北海道から戻る 南相馬
2012年4月15日
    
日高町から戻った愛馬を車から下ろす佐藤さん
 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を受けて、南相馬市から北海道日高町に避難していた国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」に出場する馬8頭が14日、約8カ月ぶりに同市に戻った。


 昨年8月、馬の餌不足が深刻だった市内の状況を知った日高町は町の2つの牧場で無償で馬の受け入れを決めた。警戒区域から運び出された16頭をはじめ計52頭を預かっていた。


 第一陣の8頭は2台の馬運車で13日午後5時半に日高町を出発。フェリーと陸路で運ばれ、14日午前11時ごろに同市原町区に到着した。


 このうち、同市原町区深野の佐藤徳さん(59)は到着した馬運車から、愛馬「グラスワールド」を下ろした。相馬野馬追の中ノ郷騎馬会理事の佐藤さんは今夏、愛馬とともに野馬追に出場する。


 佐藤さんは野馬追に参加して30年余り。おととしは中ノ郷騎馬会の軍者として出陣した。佐藤さんは「日高の方々には大変感謝している。馬を避難させた後は家族を失ったようだった。馬の世話で早起きする普段の生活をやっと取り戻せる。調教の環境は十分ではないが、伝統ある自分たちの祭りを絶やすことはできない」と栗毛の馬をなでた。


 残る44頭も5月末までに市内に戻り、相馬野馬追に向けて調教が行われる。





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