小沢一郎、疎開、放射能から逃げたという手紙に不審な点があったので紹介。
岩手県 達増拓也知事の文書を見れば、東京で調整していたことが分かります。
追記 週刊文春記事、全文の文字お越し
▲小沢一郎 週刊文春 松田賢弥記者 妻からの「離縁状」6月21日号 文字起こし(1)
手紙
週刊文集
▲小沢一郎夫人 放射能から逃避・愛人・隠し子を手紙で指摘 週刊文春
2011年3月28日に被災地入り
3月中には、被災地入りしてますね。
それでも、遅いと言う方もいるでしょうが、岩手県知事の文書を紹介。
岩手県知事、達増拓也氏の報告
福島・宮城に比較して、岩手県は復興に当たっての手際がよかったです。
小沢さんと財務省が調整していた可能性を、2011年3月28日の会談で感じたと指摘しています。
復興に当たっては、東京で、省庁間の調整をされていた可能性が、濃厚でしょう。
東京は、地域によっては岩手よりも放射線量が高いです。つまり、放射能から逃げたと言う報道は極めて怪しく、「いつ・どこへ」行ったのか週刊文集は公開すべきです。
仮に、東京にいなかったとして、遠隔地から電話だけで財務省の人達と、復興に関する予算などの調整などできるのでしょうか?
官僚が情報を握って逃げてたとの話もありますね。
▲福島原発事故後、官僚の間で旅行ブームが起きたり、給油マップが出回っていた(メモ)
2 件のコメント:
達増拓也は小沢シンパだからなぁ。
小沢さんの名前を出して他の県より上手くやれたからといって、小沢さんが復興に尽力したかどうかは分からない。
むしろ、当時の対応は他人に丸投げだったという方が自然。
本人が対応してれば、もっともっと数段効率よく復旧が進んだはず。
>匿名さん
それもそうかもね(笑)。
結果論だけ見ると、岩手県が断トツだったのは事実。組織でやるわけだしね。
例えば上司などでも成果をあげる人が、プレイヤー社長・役員・課長とかじゃないわけで。
他の地元国会議員が、被災地入りしてたのなら、それがネック・もしくは国との折衝など、尽力すべきことがあったのかもしれないしね。
むしろ、手がとられて邪魔になったのかもしれないし(笑)
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