小沢一郎が放射能疎開していたとの週刊文春報道に不審な点が、産経新聞の報道から見て取れます。発端は夫人の手紙とのこと。
中央省庁と東京で調整していたのかどうか、小沢氏側は反論すれば終わる話ですね。
追記 週刊文春記事、全文の文字お越し
▲小沢一郎 週刊文春 松田賢弥記者 妻からの「離縁状」6月21日号 文字起こし(1)
産経新聞が報道
産経新聞が3月18日に、小沢氏の近況を報道。
3月18日朝刊なので、3月11日~18日以前
○中央省庁と地元の調整役に徹すると推測
○警備で住民に迷惑をかける
○周囲に一刻も早く飛んで生きたいと漏らしていた
3月19日
○3月19日菅元首相と会談
岩手県知事の指摘もありましたが、産経新聞も、中央省庁と地元との調整役に徹しているようだと、指摘しています。
手紙
週刊文春
▲小沢一郎夫人 放射能から逃避・愛人・隠し子を手紙で指摘 週刊文春
2011年3月28日に被災地入り
3月中には、被災地入りしてますね。
それでも、遅いと言う方もいるでしょうが、岩手県知事の文書を紹介。
岩手県知事、達増拓也氏の報告
▲小沢一郎疎開、放射能から逃げた手紙に不審な点 岩手県 達増拓也知事の文書
復興に当たっては、東京で、省庁間の調整をされていた可能性が、濃厚でしょう。
仮に、東京にいなかったとして、遠隔地から電話だけで財務省の人達と、復興に関する予算などの調整などできるのでしょうか?
官僚が情報を握って逃げてたとの話は、ありますね。
▲福島原発事故後、官僚の間で旅行ブームが起きたり、給油マップが出回っていた(メモ)
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