澤村憲次教育長 大津いじめ隠蔽前の校長時代事件対応 加害者は普通の生活

大津市いじめ事件で、その渦中にいる澤村憲次教育長ですが、教育委員会で教育長に就任する前の校長時代に、リンチ事件の対応にあたっていることが分かりました。加害者の中には無罪の人間もおり、新たな疑惑の目が向けられる事になると思います。


大津いじめ事件における沢村教育長の隠蔽について

▲大津市長に沢村憲次教育長が3時間隠蔽継続のために悪あがき 被害者父親に情報公開もせず
生徒の父親(47)がこのアンケートを公表するよう市教委に求めたにもかかわらず、市教委側が「現時点では公表するかどうか、答えられない」と断っていたことがわかった
▲澤村憲次教育長 大津市教育委員会いじめ問題責任者の給料は1200万円
年収12,581,184円 通勤手当などは除く(管理人の推測 計算式は上記参照)
大津いじめ事件で教育委員会に不信の目が向けられていますが、管理人は、年収1200万円を守る保身のためにやっていたものとずっと考えていました。

ところが今回紹介する記事では、過去にも同様の隠蔽を行っていたとの疑惑が浮上しています。言い方を変えれば、前回で味をしめていた可能性があります。

青木悠くん事件に関与の疑惑



7月19日03時37分

大津市で起きたいじめ自●事件に関連して、澤村憲次大津市教育長が、11年前に大津市で起きた「青木悠くんリ●チ●人事件」に関与していたのではないかという疑惑が浮上してきた。
大津市皇子山中学校だけでなく、大津市内で他にも事件があり、澤村教育長に疑惑が浮上しているようです。

青木悠くん事件とは


青木悠くんリ●チ●人事件とは
2001年(平成13年)3月31日、滋賀県大津市平野小学校の給食室の裏庭で、当時16歳であった青木悠くんが2人の少年によってリ●チ●人された事件。悠くんは99年に交通事故によって左半身不自由になっており、日中にリハビリを行うために定時制の高校へ通っていた。もともと運動が得意であったのでリハビリも順調に進み、全日制の高校へ進むため勉強もしていた。勉学に励み、全日制高校への合格を果たした悠くんであったが、その合格をよく思わない少年らによって暴行を受けた、というのがこの事件のあらすじである。
事件について簡潔に述べますと、定時制学校から全日制学校に合格した人間に対して、嫉妬心から事件が発生したと言う事でしょう。

時系列

事件の前後に起きた事柄を時系列に整理してみると以下の様になる。
1999年8月    青木悠くん(当時13歳)交通事故に遭う
2001年3月31日 青木悠くん(当時15歳)リ●チ●人事件発生
2001年4月1日  改正少年法施行
2006年4月1日  第十九代校長に澤村憲次氏就任
2006年5月15日 見張り役3人の控訴審 第1回口頭弁論
2006年10月6日 見張り役3人の控訴審 第2回口頭弁論
2006年12月13日 見張り役3人の控訴審(ネ)第1702号 判決
2008年4月1日  第二十代校長に片山義教氏就任
澤村教育長は、青木悠君が亡くなった後に、校長に就任。裁判の行われている最中から、判決までの間、校長を務めている事が分かります。

無罪


この事件において、実際に暴行を行った少年ら2人は2年間の少年院生活の後に普通の生活に戻り、現場に居合わせて見張り役を行なっていた3人に対しては法的責任は無いとされた。この見張り役3人は当時皇子山中学に在学。06年の口頭弁論で無罪に持っていった、この時の大津市皇子山中学の校長先生が現在の大津市教育長である、澤村憲次氏なのだ。
「いじめと自●の因果関係不明」「家庭内に問題が」「いじめも原因の一つ」などと過去に発言している澤村憲次大津市教育長であるだけにこの事実は波紋を呼びそうである。
記事によれば、口頭弁論で無罪に持っていったとあります。正確には、少年院に、加害者が行ったとありますが、少年院をでた後は普通の生活。現場にいた見張り役は無罪となっています。

大津市いじめ事件で、教育委員会と中学校、警察の酷い実体が明らかとなりましたが、今回の事件の前にその複線は既にあったのかもしれません。水面下にどれだけ事件が隠れているのでしょうか。

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